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母親が美容室を開業し、借金地獄になるも、過払い金返還請求で220万円を取り戻しました
(債務者:母親 20代 女性 主婦)

私の母親が2004年に美容室を開業しました。
母親は、趣味は仕事と言ってもよい人で、私が幼少の頃からいずれは独立して開業したいということを毎日口癖のようにしていました。
それが念願かなって、母親が40代にして、自宅の近所のビルの2階を借りて美容室を開業したのでした。

開業資金は、政府系金融機関から低い金利で借りることができたようでした。
そして、5名分のお客さんを収容可能な設備投資をし、スタッフを4名パート社員という形態で雇いました。
税理士の方からのアドバイスで、母親は個人事業主として美容室をスタートさせました。
個人事業主として開業することで当初2年間は税負担が軽減されるのだそうです。
そして、開業当初は駅前でチラシを配布したり、新聞に折り込み広告を入れて割引クーポン券をつけていたのでお客さんが集まってきましたが、1回きりのお客さんが多かったようで、開業してから3ヶ月くらい経過すると、早くも集客力に陰りが見え始めてきました。
ご存知の方が多いと思いますが、美容室は、コンビニや歯科クリニックと同じくらい、出店数の多い商売で、集客するのは、簡単なことではありません。
私の母親は美容室を開業する際に、税理士から資金調達面や税金の面でアドバイスを受けており、開業するにあたっては、多めの金額を借りたほうが運転資金の工面という点では苦労しないとアドバイスを受けていたようでした。
ところが母親は、あまり多額の借金はしたくないので、必要最低限の融資を受けたいと言って、文字通り開業のための資金に限定して政府系金融機関から借金をしました。
この判断が仇となって、開業してから6ヶ月が経過すると、母親は運転資金にも苦労するようになってしまいました。
そして、スタッフへ給料を支払うために消費者金融から借金をするようになってしまったのです。

2004年の冬の季節のことでした。それからは毎月のように、母親は消費者金融から借金をし続け、ついに2005年12月の時点で借金総額が470万円となっていました。
内訳としては、アイフルから120万円、レイクから110万円、プロミスから110万円、ジャックスから130万円でした。
この時期の母親は、なんとか客を増やせないものかと悪戦苦闘していました。
そして美容室の収支を改善しなければなりませんので、4人のパート社員のうち1人には辞めていただきました。それでも客が来ない状況は変わらず、母親は心労のあまり神経内科に通院するようになってしまいました。
精神安定剤を処方してもらい、それを服用しながら美容室経営を続けていたのです。
しかし、美容室を開業してから2年が経過すると、政府系金融機関への返済金額が増えてしまいます。元金分も返済しないといけなくなるからです。
このため2006年に入って、母親はこれ以上借金を増やすことはできないと覚悟を決め、開業してから約2年間で美容室を閉店しました。
それから、母親はスーパーのレジ打ちのパートに出て、必死になって借金返済をしていました。年齢はすでに50歳を過ぎていましたが、朝の午前9時から午後5時までフルタイムで週に5日働いていました。
そのパートで稼いだお金を全額借金返済にまわしていたのです。

2013年に入ってから、広告宣伝や雑誌の記事などで「過払い金返還請求」という文字が目につくようになりました。
法律事務所や司法書士事務所が、消費者金融に対する過払い金返還請求を主な収益源にしているという記事を読んだこともありました。
私はその記事を母親に見せて、一度弁護士か司法書士に相談したらどうかと勧めてみました。母親はじっとその記事を見つめていましたが、すぐに消費者金融との契約書や借り入れ明細をすべて取り出して、最寄りの司法書士事務所に電話をし、面談の予約をしました。
数日後、母親が司法書士との面談を終えて帰宅してくると、司法書士からは「すでに過払い金返還請求のピークは過ぎていますが、まだ大丈夫です。
ほとんどの消費者金融は倒産してしまいましたが、あなたが借りた消費者金融は全社存続しています」と言われたそうです。
正式に司法書士に過払い金返還請求を依頼したところ、数か月後に約220万円も余計に利息を支払っていたことが判明したそうです。
司法書士に成功報酬を支払ったあとも母親の手元には約170万円残りましたので、母親は全額を美容室を開業するときに融資を受けた政府系金融機関への借金返済にまわしました。いま、母親は事業を始めるときは、撤退ラインをあらかじめ決めておかないと借金地獄に陥ってしまうと、しみじみと反省の弁を述べています。

お金は魔物なので、丁寧にお金を扱っていきたいとも話していました。そして、これからは残りの政府系金融機関への借金返済のゴールが視野に入ってきたので、それまではスーパーのパートで頑張ると言っております。

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